多摩川源流部におけるイワナの産卵観察ライン

観察期間 2001.11.01〜06
観察地 多摩川源流域
観察者 中本 賢


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T.多摩川のイワナ

秋も深まり、ナラやカエデの葉が色づく頃になると、この多摩川の源流域でも渓流魚の産卵が始まります。
人口密集地である中下流域からは想像しづらい豊かな自然が、源流域の小河川にはまだ多く残っており、そこでは古くから変わることのない渓流魚たちの暮らしが今なお続いています。
イワナは、河川の最上流部に暮らす、幻の渓流魚と言われる魚です。人の近寄ることのない深い沢の奥で、ひっそりとしたたかに暮らすこの魚は、多くの釣りファンに愛される魚でもあります。
禁漁期に入り、奥多摩の細流から釣り人が消える10月。産卵を控えたイワナは、産卵のためにより上流の細流を目指します。本流から支流へ、そしてまたその奥へと婚姻色に体を染めたイワナたちが次々と集まって来ます。
釣り人の多い奥多摩では、渓流魚の放流も盛んに行われます。その多くが釣られる中、わずかに残ったヤマメやイワナは、人知れず深い沢の奥でこうして今でも立派な繁殖行動を取り、自立した暮らしを続けていました。
さて、多摩川のイワナはどのような環境でどのような産卵をしているのでしょうか・・・。
紅葉が最盛期を迎えた111日満月大潮日からの5日間、奥多摩でもっとも産卵イワナが集まっていると思われる沢にて、産卵の集中観察を行いました。

  

U.産卵の環境

観察を行ったのは、奥多摩湖からさらに10キロほど上流に移動した所にある多摩川源流部の沢。
沢の形状としては、全体的に勾配角が強く、流れは階段状になっていて、瀬、淵、かけ上りのセットを5〜7メートル間隔で繰り返しています。両岸共に、高さ20メートル以上の崖に挟まれ、沢の底は昼間でもかなり薄暗い印象を持ちます。流れの幅は本流との合流点付近でも2〜3メーターほどしかない小渓谷です。

そんな小さな流れですが、この沢のイワナは、おそらくどのような想像よりも遥かにデカイ大きさがあります。ビデオに映った魚体はオスで60センチほどあり、メスでも50センチ前後は軽くあり、ほとんど腰を抜かします。オスは、口がシャケのようにしゃくれ上がり背中が三角に盛り上がっていて、とても立派です。


沢の全体図、A〜Hは産卵床の記録を取ったポイント。

本流から見た支流の入り口には、沢から流れ出たゴロタ大の石が扇形に広がり、3メーターほどの突き出しと1メーター前後の落差を造っています。したがって、沢の入り口を見ただけでは、この細流に大型のイワナやヤマメが遡っていることはなかなか想像しにくいようでした。
5日間の観察中、産卵に集まるイワナとは数多く出会いました。と言うか、沢の入り口から魚止めの滝までの約2キロ、ほとんどの淵や瀬に産卵イワナが入る密度の濃さでした。この沢にあるそれぞれ違った産卵環境の中でイワナたちは、どのような条件選びをしていたのでしょうか。
観察期間中、最も安定した観察が行えた8ヶ所を例にして報告します。

本流から見た△△△沢入口 Bポイントから本流を見たところ。 Gポイントを合流点側から見たところ。


≪Aポイント:本流合流点すぐ上、流木下≫

観察データ
・産卵群数:メス1匹 オス1匹
・体長及び特長:オスメスともに30cm未満
・流れの形状:水深24cm 流木の脇にできた巻き返し内
・河床状況:砂利(平均径4〜6cm大) 付着珪藻類及び水あかなどの汚れなし

*大きな流木が流れを横切るように横たわり、所々で流れを巻き返している。産卵のあった位置は流木の脇に出来た巻き返しで、ちょうど枝分かれの枝が流れを遮り、極端に流速の落ちる場所だった。底質も、巻き返しに溜まった砂利質であり、流心の深みからかけ上がった水深の浅い場所だった。

≪Bポイント:一つ目のカーブ前、長い平瀬≫

観察データ
産卵群数:メス2匹 オス4匹(内、ヤマメ♂一匹)
体長及び特長:オスの体長は60cm前後の大型で、体色は婚姻色のためか深い色に変化し、吻の形状にも変化があった。メスの体長は40〜50cm
流れの形状:水深21cm 岩で割れた流れの陰にて産卵床を形成
河床状況:砂利(平均径4〜6cm大) 汚れなし 

*わりと開けた場所で複数群れていた。メスの1匹が産卵後の産卵床に、尻ビレで掘った小砂利をかけている。大型のオス数匹が、それを見守るように後方で待機していた。

 

≪Cポイント:支流合流点、岩の陰≫

観察データ                                          ・産卵群数:メス1匹 オス2匹
体長及び特長:オス2匹のうち1匹は体長50cm前後、もう1匹は30cm大。ペアリングしていたのは、大型の方のオスで、メスの体長は30cm前後
流れの形状:水深18cm 支流と支流が合流する地点にある大きな岩陰。前方のかけ上がりと後方のチャラ瀬に挟まれた短い平瀬内。
河底状況:小砂利(平均径3〜5cm大) 汚れなし

*大きな岩陰にできた、小さな窪みに入ってペアリングしていた。近寄っても逃げることがなく、安心できる場所のようだ。

 

≪Dポイント:平瀬内、州の左側≫

観察データ
産卵群数:メス1匹 オス3匹
体長及び特長:ペアリングしていたオスメスは、ともに50cm前後 後方で隙を狙っていたオス2匹は共に30cm大
流れの形状:水深15cmほどのゆっくりした平瀬内 洲によって分かれた左岸側流れにて産卵 右岸側は、同じような流水条件ではあるが、水深がやや深く所によって30cmほどある
河底状況:小砂利 (平均径3〜5cm大) 汚れなし

 *なだらかなかけ上がりの後にある平瀬内に位置していた。岸寄りになることもなく、産卵床は平瀬内にある窪みを使っていた。観察中、洲の右岸側では、一度も産卵イワナを見ることがなかった。

≪Eポイント:落ち込み前、流木下≫

観察データ
産卵群数:メス1匹 オス1匹
体長及び特長:体長はともに30cm前後の小型
流れの形状/水深15cmほどの平瀬内 流心は流木に当たり平瀬を通過後、落差1メーターほどの落ち込みになっている
河底状況:小砂利 (平均径3〜5cm大) 汚れなし

 *産卵床があったのは、開けた所だったが、近づくとスッと流木の下に入った。静かにすると再開も早く、近くに身を隠す所があると安定するようだ。

 

≪Fポイント:魚止め下≫

観察データ
産卵群数:オスメス不明 8匹以上
体長及び特長:数は多くいたが、いずれも20〜30cm大
流れの形状:大きな落ち込み後にある深い淵 カーブした流れはかけ上がりを通過平瀬へ入る 産卵箇所の水深は約10cm
河底状況:小砂利 (平均径3〜5cm大) 汚れなし

 *二つに分かれた支流のこちら側の事実上の魚止め 小さな滝は、ほぼ直角に3メーターほど落ちていて、その下にはこの沢で唯一の2メーターほど水深のある淵があり、突き出した大岩の下を流れがえぐっている。このえぐられた岩の下で数多くのイワナを見たが、どれも小型のイワナだった。産卵は、そこでなく淵の尻の平瀬で行われていた。

≪Gポイント:合流点上右俣≫

観察データ

産卵群数:メス3匹 オス1匹
体長及び特長:オスは60cm前後の大型 メスの2匹も40cm以上の大型 残りの1匹は20cmほどの小型
流れの形状:落差のある瀬に挟まれた淵 左岸側にえぐられたわんどがあり、巻き返す流れあり 
河底状況:小砂利 (平均径3〜5cm大) 汚れなし

 *産卵は巻き返しの中、岸に向かって行われた。右岸側に深みのある岩陰があり、今年度の観察中、もっとも安定してイワナが付いていた場所だった。

≪Hポイント:右俣−曲がり上≫

観察データ
・産卵群数:メス2匹 オス1匹
体長及び特長:オスは50cm以上の大型 メスも共に40cmほどの大型
流れの形状:ほとんど真っ直ぐな流れの中の淵尻平瀬内 水深18cm
河底状況:小砂利 (平均径3〜5cm大) 汚れなし

 *過去の観察でも、実績の高い淵。流れが素直で産卵行動の観察がやり易い場所だった。

 (K沢の水温は、観察期間中、9・5℃〜10・3℃の幅での変動があったが、沢の上部下部での変化は見られなかった)

 



V.観察を通じて思ったこと

≪イワナの隠れ上手≫
イワナは隠れるのが大変にうまい魚です。狭く浅い流れの中、どこにも身を隠すような場所がないはずなのに、現れ始めるとモソモソどこからともなく大型のイワナが何匹も出て来ます。水中カメラで見てみると、ちょっとした窪みや岩の割れ目など、実に上手に使って体を隠しているのが良くわかりました。雲隠れに自信があるのか、急に威かしても瀬を下り降りて逃げることはなく、近くのそういった場所へスッと入り、じっとすることが多いようでした。


場所選びに共通する産卵環境≫
産卵床として選ぶ場所も、多くが流木や岩などの物陰になるような所に作っていて、ヤマメや他のサケ科の魚のように開けた淵尻の平瀬を好むということは少なく、流れの方向よりもやはり物陰の中やその近い場所にこだわる傾向がありました。

河床の底質は、平瀬内や巻き返しなど、比較的砂利が良く動くフワフワした場所を選ぶのが、各ヵ所共通しています。水深も20センチ前後の背びれが出そうな場所であることが多く、底質や水深で言えば、平瀬内で産卵する他の魚種と多くの共通点があることが解かりました。


Dポイントで産卵に成功するペア。


≪産卵行動≫
産卵行動は、基本的にはオスメス一匹ずつのペアで行われますが、オスが何匹かいる場合には、メスの放卵の瞬間に他のオスが割り込んで放精を行っていました。したがって、放卵の瞬間まで、ペアになったオスは他のオスを排除しようと追い回します。ここでも体の大きなオスが優位なようで、ペアになっていたオスはより大型のイワナが多いようでした。メスの放卵は、定位したのち数回に分かれて行われ、その都度寄り添ったオスは放精を繰り返します。
卵は、直径5ミリほどの粘着性の低い卵で、一つの産卵床に数十粒から百粒ほど産み落とされるそうです。産卵を終えたメスは、ただちに卵の上へ砂利を被せる行動を始め、卵を他の魚に食べられないようにしています。石間に隠れた卵は、その後孵化した後も同じ産卵床に留まり、卵黄を吸収しながら春を待ち、雪解けの出水が終わる頃に泳ぎ出します。


W.観察を通じて感じたこと

この沢に通い始めて三年目の観察でしたが、毎年行けば必ず産卵イワナと出会えるのは嬉しいことです。重い機材を背負子にくくり付け、険しい山道や崖を登り降りしながら、たった一人で沢をさまようのも少し恐い気もしますが、けなげに沢をつめて来た大イワナたちに出会えば、たちまち胸躍るような気分になれます。
沢では、イワナの産卵がピークになっていても、人と出会うことはありません。きっと繁殖期前に禁漁期に入るため、通い慣れた釣り人でも、この沢に産卵イワナが集まることはあまり知られていないようです。人知れずこんな深い山の奥で、懸命に頑張っている魚たちの姿と出会える幸せを感じています。
これまで日本の各地でイワナの産卵を見ましたが、これほどまでに大きなイワナがのびのびと産卵しているのは、大変に珍しいことではないかと思っています。砂防ダムや林道の開道などでイワナの産卵環境が心配されている中、東京の川の上流部でこんな夢のある景色に出会えるとは思いませんでした。多摩川はいつも意外でいっぱいです。
願わくば、変わることのなかった彼らの暮らしが、今後も末長く続けられるよう、沢の環境の大きな改変がないことを祈って止みません・・・。
イワナは忍者のような魚です。ちょっと目を離すとすぐ見えなくなってしまいます。石のすき間で生まれ、岩の合間で育ち、岩山のふところ奥深くに入り込んで産卵をする。イワナを“岩魚”と書く意味が、ほんの少し分かった産卵観察の旅でした。


【 お 願 い 】

観察箇所の産卵イワナは、大変に水深の浅い小さな環境で産卵しています。
山深い故に人の目も届かず、魚を抜き取ろうと思えば簡単に取り去ることが出来る状況にあります。
魚と人の関係は、まだまだ発展の途にありますので乱獲防止にご協力をお願いします。

By KEN NAKAMOTO
HP Design By TANSUIGYO CLUB’S SAKU
06.March.2002

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