銚子川のユラユラ帯観察
観察期間 | 1996年10月25日〜1998年11月20日 |
観察地 | 三重県海山町 銚子川下流部 |
観察者 | 中本 賢 |
* 1996年 春 銚子川河口部 * |
T.はじめに
銚子川の何が面白いの?と訊ねられたら、それはきっと“見える”ということです。何が見えるのかと言うと、海と川の境目“汽水域”が見えます。見えるからといって誰もが喜んで見に来るかと言うと、そうでもありません。それが未知たる場所の、未知たる由縁です。
汽水域は一般的には、川の河口付近にある、“川の淡水”と“海の海水”が混じり合っている所・・・という風に思われることが多いようですが、そこで実際にどのように混じり合うのか、なかなか想像しにくい場所でもありました。
そもそも普通は見ることができません。どんな川にも必ずあるはずですが、なかなか見えません。川の水が河口付近にたどり着く頃には、生活排水などが流れ込んで透明度が極端に悪くなってしまうからです。
観察をした銚子川は、流域に生活排水を流す集落がひとつもありません。そもそもたった20キロしかない流路のほとんどが山岳地帯を流れていて、川の水は人の暮らしと交わることなく河口に至ります。ですから、河口でありながら高い透明度があり、いとも簡単に水中メガネにて知られざる世界を覗くことが出来ます。
さて、見える以上は見なければなりません。川の最後がどんな終わり方をするのか、はたまた海から見た川の始まりとはどんな風なのか・・さしずめ境目にこそ両側の世界を集約する面白さがあるに違いありません。
しかし汽水域の事など考えても見なかった世界だけに、想像する手がかりがありません。いろいろ資料など探しましたが見つからず、結局は手ほどきのないまま、現場で一つ一つ実際に潜って確かめてみる事にしました。
ところが、面白い。これがまったくもって面白いのです。行けば行くたびに、潜れば潜るたびに小さな発見や感動に出会えます。ひとりよがりかも知れませんが、どの発見も境目のメカニズムを感じる大切なキーワードのように思えて、観察を重ねるうちにやがておぼろげながら汽水域の全体像が少しずつ想像できるようになってきました。
以下は、銚子川の観察で感じた汽水域のメカニズムと、水生生物などの浸透圧調整についての感想と推測でス・・・・・・・・。
U.汽水域のメカニズム
─海と川が重なっている─
銚子川の河口で、偶然見てしまった時は相当に驚きました。
川の中に海があります。よく見ると、川底の方に比重の重い海水が広がり、その上を川が滑るように流れています。しかも、その両者の境目がわずかに溶け合い、ユラユラとまるでアイスティーに入れたガムシロップのように揺らめいて見えたのです。
川の河口というのは、淡水と海水がてっきり混じり合う場所だと思っていたのに、そこでは混じることなくそれぞれがはっきりと上下に分かれていました。これだけはっきり分かれているとしたら、海から遡上してくる魚や小動物は、この境目をどのように越えて、川へ突入しているのでしょう・・・。この不思議な世界に突然大きな興味が湧いてきました。画像↓@
画像@ |
画像A |
─境目はZ形─
このユラユラした境目は、いったい川のどこまで入っているのか、河口で見つけた境目を追って、上流方向へと進んでみました。先端がどんな風になっているのかも興味があります。ユラユラに沿い、上流へと移動してみると、河口では水面直下にあったユラユラ帯が、徐々に水面から離れて川底に近づいています。さらに進むと、やがてユラユラ帯は川底にくっつき消えてしまいました。川底の勾配が急な銚子川では、川に進入したユラユラ帯は徐々に勾配に負けながら、やがて止まってしまうようです。感触としては、水より重い海水が、川の水と川底の間へ割って入るように、奥へ侵入していると言った感じです。先端部は、川の流水にまかれ、もうもうと潮煙りを上げていました。画像↑A
─満潮線と干潮線─
このベロのように伸びたユラユラ帯は、いつも同じ場所にあるわけではありません。海には潮の満ち引きがあります。満干差が最大になる大潮時には、このあたりでも2メートル近くも海水面が上下しています。
では、水位が変動する海に押し引きされながら、ユラユラ帯はどのくらい川の中を移動するのでしょうか。干満の差が最大になる大潮の日に、それぞれユラユラがどこまで移動するかを調べたところ、干潮時でJR橋下約四百メーターの位置まで下り、満潮では河口から約1.5キロの所にある国道橋まで上がりました。
川の水量によって汽水線も大きく移動しますが、平水位では、だいたいこの位置で止まるようです。
―海は海のまま入ってきて、海のまま帰る─
潮の先端を追い、さらに上流へと進みましたが、海水は依然ユラユラしたままで、いっこうに混じり合いません。上流へ進めば、やがて少しずつ川の水と混じり合うものかと思いましたが、それは間違いのようで、結局満潮線に至るまで、境目のユラユラ帯はハッキリとしたままで、やがて潮が引き始めるのと同時に後退をし始めました。
したがって汽水域は、「海水と真水が混じり合う場所」ではなく、「時々、海になったり川になったりする所」ということになります。
─川の中にもあった潮だまり─
海水の浸入とともに、一度は海になった場所ですが、ふたたび潮が引くと、元の川に戻ります。
しかし、よく見ると潮の去った川底に、小さな異変が起きていました。川底は平らではなくデコボコしています。そのデコボコしたくぼみの中に、取り残された海水が、まるでドライアイスの煙のようにモアモアと残っていました。あたりを見回すと、大きなくぼみから小さなくぼみまで、いたる所で海水が潮だまりのように溜まり、川底をモアモアさせています。
─石の下の残り潮─
JRの鉄橋を支える橋脚のえぐれは、くぼみに深さがあるぶん海水が残りやすく、そこでは残ったユラユラと同じ位置に、フジツボやカキなど並んで付着していました。
これは、潮の満干に関係なく、ユラユラが常にそこへある証拠になります。
河口から約1キロ、JRの橋脚 | 橋脚の根元に出来た潮溜り | ユラユラ面の下側に付いたフジツボ |
V.河床内の汽水域
こうして見て行くと、海水が川へ侵入することによって引き起こる様々な現象の根幹に、川底との関わりが大きく関係していることが想像できます。川へ進入する海水に、川底ではどんな変化が起きるのか実験をしてみました。
厚みのない水槽をアクリル板で作り、中央に仕切り板を入れて右に海水、左に淡水と分けてそれぞれ1リットルずつ入れ、川底に見立てた白い砂利を、傾斜をつけて全体に厚く敷きました。淡水側の底には、潮だまりを作るための凸凹もつけ、海水側の動きがはっきりと解かるよう海水を食紅で色を付けて実験を行いました。
─満ち潮─
真ん中の板を引き抜いてみると、赤く染めた海水が淡水側に勢い良く進入します(画像↓B)。川の中で実際に見たとおり、淡水側の川底に分け入るような形で、海水は侵入していきます。川底に見立てた砂利の中でも、水槽の底を伝った海水の浸入がありました。表層からも染み込みます。海水が河床内へ染み込む形としては上面と下面側からが速く、中層は少し遅れる形で結果的には(画像↓C)のように染み込みました。
画像B | 画像C | 画像D |
─引き潮─
次は、引き潮を想定して海水を少しずつ抜きます。川底上に溜まっていた海水を少しずつ抜いて行くと、水槽内のユラユラも後退していき、やがてあらかじめ作っておいた凸凹の中には、やはり、実際に見たのと同じ状況で赤い海水は潮だまりとして残りました(画像↑D)。すでに河床全体にしみ込んでいた海水は、上の海水がなくなっても、連動して変化することはありません。最後に水槽の底側につけた穴から、河床内に溜まった海水を少しずつ抜き、潮の満ち干きに連動するであろう河床内の伏流水について観察しました。伏流海水を抜き始めると、川底面の潮だまりにあった赤い海水が、スーッと河床に吸い込まれるようにして消えました。
以上の実験の結果から、川底に溜まっていた潮だまりは、川底以下にしみ込んだ膨大な海水に支えられていることが判りました。
─実験から判った事─
河口にある町で面白いことを聞きました。『町の中のあちこちにある井戸の水が、銚子川上流で水を取るようになり、川の水量が減るようになってから、海水が混じるようになってしまった』・・・というのです。実際に、海水が混じる井戸を見に行くと、井戸の水面が潮の満ち引きに連動して上下しています。川の水量が減る前には、そのようなことはなかったそうです。
その話は、アクリル水槽の実験と同じことなのかも知れません。つまり川の水の多かった時には、地下を伏流する川の水も多く、町の地下水も淡水域だったが、川の勢いが弱くなり伏流する淡水の勢いも弱まると、そのぶん地下にあった海水と淡水の境目も、海に押し込まれて町の下にまで入り込んでしまった・・・ということです。
川の中でも、それを裏付けるような現象を見つけることができました。潮がまだ来ていない川底から、海底温泉のごとくモウモウと海水が吹き出していたのです。
つまり、上げ潮を川の中を進んでくるユラユラ帯よりも、ずっと早い段階で伏流海水は敏感に反応しているのです。アクリル水槽の実験から想像するならば、これは海側から、その場所まで、滞ることなく伏流海水が、常に満タン状態で詰まっていたからに違いありません。つまり、地下にもあったユラユラ帯は、潮の満ち引きに若干の移動はするものの、河口から海水が遡ったほぼ満潮線上の下にあり、そこから、下流方向の川底にあった、潮だまり状態の海水を、アクリル水槽の実験のとおりに河床内から支えていたことになります。
したがって汽水域とは“川底”そのものなのです。
W.春の遡上魚観察
〈春は海からやって来る〉
春の汽水域を集中観察してみました。4月に入り、川の水が少しずつ緩み、海水温との差が少なくなり始めると、銚子川の川の中は急に賑やかになります。海から川を目指す魚や小動物たちが、待ってましたとばかりに川を遡行し始めるからです。これを川の中で見ると、実はかなり感動する光景になります。見たことのない人には想像しにくいでしょうが、海から川を遡上してくる水生生物の数はどんな想像よりもはるかに多いのです。
遡上魚たちが、干潮汽水線上に集まって来ています。まだユラユラ帯の内側の海水の中を泳いでいますが、体を川の水に慣らすのは、まだこれからです。やがて、満ち潮に押されてユラユラ帯がゆっくり動き出し、中にいる遡上魚も押されるようにして上流へと移動して行きます。まるでユラユラ帯が稚魚を運ぶ電車のようにも見えてきます。乗客のほとんどはハゼの仲間たちでした。ユラユラの中、中層で群泳しているのはウキゴリの仲間ですが、その数がものすごい。まるで川の中に敷きつめられたじゅうたんのように広がって群泳しています。底の方では他のハゼ科の仲間や体長2センチほどのアユカケが、石から石へと飛び移りながら進み、さらにユラユラ帯先端付近では、体長3センチほどのウグイが群れていて、キラキラとまるでミラーボールのように川のあちこちで光っています。そして、その後方の頭上を時おり帯状に進んで行くのは、すでに潮抜きの終わったアユの軍団でした。石の下では昨夜のうちに遡ったのだろう親指の爪ほどのモクズガニやシラスウナギなどが、突然の人間の来訪にあわてて石の下から飛び出したりします。長く続いた静寂の冬は終わりを告げ、ふたたび川の中が賑やかになりました。
1996年4月23日晴れ。
川の水温15.5度。ユラユラ内の潮の温度19.5度。
春は海からやって来ます。
−銚子川の魚−
観察期間、銚子川で見ることの出来た魚の種類は、全部でどれくらいの数になるのでしょうか。
川の規模も小さく急勾配の川底を流れるため、決して多くの魚種は望めませんが、一応書き出してみると、
NO. | 魚 名 | 季 節 | 観 察 域 | 生 体 | サイズ(mm) |
1 | ウキゴリ | 春夏 | 汽水域内 | 遡上魚群 | 15〜20 |
2 | ビリンゴ | 春夏 | 汽水域内 | 遡上魚群 | 15〜20 |
3 | サツキハゼ | 春夏 | 河口 | 成魚 | 40〜50 |
4 | ミミズハゼ | 夏 | 河口 | 幼魚体 | 50 |
5 | ゴクラクハゼ | 夏 | 汽水域内 | 成魚 | 50〜70 |
6 | チチブ | 春夏秋 | 河川全域 | 成魚 | 40〜50 |
7 | アユカケ | 春夏 | 中流域 | 成魚 | 200〜250 |
8 | ヨシノボリ類 | 夏 | 中流域 | 成魚 | 50〜70 |
9 | カワアナゴ | 夏 | 汽水域内ガサガサ | 幼魚 | 30〜50 |
10 | ボウズバセ | 夏秋 | 中流域 | 成魚 | 200〜230 |
11 | シロウオ | 春 | 河口 | 成魚 | 50〜60 |
12 | アユ | 夏秋 | 中流域 | 成魚 | 120〜180 |
13 | アマゴ | 春夏 | 上中流域 | 成魚 | 150〜200 |
14 | ウグイ | 春夏 | 上中流域 | 幼魚 | 50〜70 |
15 | カワムツ | 夏 | 上中流域 | 成魚 | 100〜200 |
16 | オイカワ | 夏 | 中流域 | 成魚 | 100〜120 |
17 | ウナギ | 夏 | 河川全域 | 成魚 | 400〜600 |
18 | スナヤツメ | 夏 | 中流域 | 成魚 | 300 |
19 | ボラ | 夏 | 汽水前後 | 成魚 | 400〜600 |
20 | スズキ | 春夏秋 | 河口付近 | 成魚 | 500〜1000 |
21 | クロダイ | 春夏秋 | 河口付近 | 成魚 | 400〜600 |
22 | カレイ | 春 | 河口付近 | 成魚 | 200〜300 |
23 | ウミタナゴ | 春夏 | 河口付近 | 成魚 | 100〜200 |
24 | グレ | 春夏 | 河口付近 | 幼魚 | 50〜100 |
以上24種になります。直接見た魚種だけですから、本当はもっといるのかも知れません。面白いことに、この中でまったく海との関わりを持たずに一生終える魚は、オイカワ、カワムツ、カワヨシノボリそしてスナヤツメの四種だけで、他の魚は、その生活史のどこかで深く海との関わりを持っています。銚子川の魚たちにとって、浸透圧調整を行なう境目の汽水域は、実にのっぴきならない場所になるのかも知れません。
─海の入り口と川の入り口─
汽水域の海水と淡水が織りなすメカニズムの中で、一番大切なのは大潮における満潮時と干潮時の2つの汽水線を探すことです。この2つを見つけることが出来れば、“汽水域”という空間を、実際の大きさとして実感することができます。
では、海からやって来る遡上魚たちにとって、川の入り口はどこになるのでしょう。時々海になったり川になったりする場所は、海であり川でもあるわけで、どちらの入り口にもなりません。ユラユラに押されながら川に入ってくる魚たちにとって、本当の川の入り口は、それ以上はユラユラが進むことの出来ない満潮汽水線上であり、そこから先は苦しくなっても潮だまりや石の下に逃げ込むことは出来なくなります。 逆に川を下って海に向かう魚にとって海の入り口とは、それ以上は潮の引かない干潮汽水線が海の入り口ということになるのかも知れません。つまり汽水域とは、それぞれの入り口の直前にある大切な体慣らし場となっているようで、遡上や降海、それに産卵や子魚たちの成長の場として、どちらの側から見ても実に多くの役割を引き受けている場所のようです。
─遡 上─
遡上をする魚のイメージとして、以前は河口から力強く自力で泳ぎ川を遡る感じがしていましたが、実際に見た感じではそうではありませんでした。
『たまたま河口にいたら、いつの間にか川の上流に運ばれちゃってサ・・・。』という遡上魚のボヤキが聞こえてきそうな遡り方をしています。
ちなみに、河口での川の流れというのは一定ではありません。潮が満ちて海面の方が高くなってくると、海は川の中へと流れ込み始めます。この勢いは相当なもので、内海の奥にある銚子川の河口では、まるでしぼられたノズルのような役目になり、さざ波を立てて、海水が川へと流れ込んでいきます。大潮の銚子川では、たったの6時間で2メートル以上も海面がせり上がっています。
水の中に入ると、全ての魚が河口の方を向いています。それほど強い流れが川へ逆流しています。河口で見たクロダイやスズキは、逆流の流心の脇で潮に押されて入ってくる餌を待っているようで、頭を海に向け一列に並んで泳いでいます。川に入った海はその勢いで川底を攪拌して、ユラユラ帯以下の海は濁って急に透明度が悪くなっていました。川に入った稚アユの群れは、自身で前進しているのではなく、上流に移動して行くユラユラ帯を出たり入ったり、グルグル上下に回りながら、体を淡水に慣らすようで、遡上がピークの頃に、川の中層面に広がるユラユラ面全体が、回転するアユたちの群れで、まるでどしゃぶりの雨に打たれる水溜まりのように、一面跳ねるようにギラギラと輝いて見えます。自分で上流に進んでいなくても、結果的には潮が進む分、より上流へと移動してしまうのがよく判ります。回転するアユに泳いで近づくと、サッとユラユラ以下の濁った海の中へと逃げ込んでしまいます。しばらく離れて様子を見ていると、またどこともなく現れてはグルグル回っています。ウキゴリは、すでに先端付近のユラユラ帯で群泳して、さらなる潮の上げを待っていました。いずれも、自身の力で泳ぎ出し遡上しているのではなく、潮に押されて川の奥へと進みながら遡上のきっかけを作ってもらっているような印象を持ちました。
−まじり場−
銚子川でいうと、ユラユラ帯はその潮位差によって、川底を約1.5キロほど移動します。こうしてユラユラ帯が移動することによって、海水と淡水のまじり合う場所がいくつか増えていることが判りました。まじり場は、遡上魚になくてはならない体慣らす場所です。銚子川で見たまじり場を大きく三つに分けると次の通りです。
@海水と淡水の接着面
いわゆるユラユラ帯と言っている場所です。ここでは泳ぎのうまいアユは川の中ほど、泳ぎの下手なハゼたちは岸寄りの水際にあるユラユラ内、という体を慣らす場所の使い分けがあった。見ることは出来なかったが、泳ぎのうまいボラやスズキがユラユラを突破して行く様子からすると、川マスやシャケといった魚たちも、このまじり場を使っているのではないでしょうか。
A川底の潮だまり
干潮とともに去ったユラユラの後に残るこの潮だまりに泳ぐウキゴリを見た時は、思わず鳥肌が立ちました。そんなことは想像もしていなかったからです。無数にある川底のデコボコに溜まった潮、そしてすべての潮だまりにウキゴリの群れの姿がありました。時期を変えれば、きっとこのまじり場を利用する遡上魚がほかにいるかも知れません。
B川底の石の下
塩分濃度計で計ってみると、両汽水線内にある石の下は、そこにユラユラ帯が来ていない時でも、0.5〜0.8パーセントの塩分が含まれていました。しかも水温も春先では3〜4℃も暖かくなります。伏流海水が支えている“残り潮”ですが、モクズガニやウナギはこのまじり場を使っていました。
銚子川で見た遡上魚は、そう言った場所を実に当たり前な感じで使い、浸透圧を調整しながら川へと突入しています。
銚子川の遡上魚を見るにあたって、ほんのちょっぴり野生の神秘的なものに出会えることを期待していましたが、ほとんどそうゆう事には出会えませんでした。遡上魚たちが見せる行動は、じつに環境的に当たり前で理にかなうことが多く、新たな疑問が生まれるよりも、「うーん、なるほど!」と言った納得の連続となりました。
野生は、[ありのまま]を実に合理的にありのまま利用しているだけです。もし野生を神秘的に感じてしまうとしたら、それはきっと彼らをとり囲む[ありのまま]を、僕たちが知らないだけなのかも知れません。
銚子川のユラユラ帯の先端部を、四季を通して観察してみました。冬の川の中は、なかなか魚を見つけることの出来ない閑散として風景でしたが、春になり、こうして潮に乗り川の中に押し寄せて来る魚の大群を見てしまうと、川の水を支えているのが“森”であるのと同時に、川の魚を支えているのは実は“海”であることを強く感じます。河口は、川の終わりではなく紛れもない川の始まりでした。
X.産 卵
淡水魚の産卵場所として、とりわけ両側回遊魚と呼ばれる魚たちにとって、産卵場所選びはとても重要なはずです。孵化した子魚を、川に流し海に入れなければならないからです。泳ぎもままならない子魚たちを安全に海へと流すために、親魚たちは一体どんな場所選びをするのでしょう・・・ もし、その場所選びが遡上魚と同じく何らかの汽水のメカニズムとの関係を持っていたりするならば、今後どの川を観察することになっても、その川の汽水線を探し出すことによって、たとえ水中が濁って何も見えなくても、満干の汽水線から魚の産卵場所などを容易に想像することができるようになります。逆に産卵行動からも、その川の汽水メカニズムが判るかも知れません。
11月の下旬、鮎の産卵が始まっていることを確かめ、僕は銚子川へと向かいました。
─アユの産卵─
アユが産卵していたのは、じつに微妙で面白い場所でした。それまでに調べた汽水のメカニズム的に言えば、“満潮汽水線の上、川だまりの先頭”ということになのます。つまり満潮汽水線よりは上流で潮そのものは届いていないものの、川の流れが潮によってせき止められて、どんどん溜まり水位が上がってしまっている地区の一番上流側・・・という少々ややこしい所です。
したがって流れ強い瀬でありながら、15日ごとに来る大潮の日には水位が上がり、とろい平瀬になってしまいます。その瀬から200メートルほど下流にも似た瀬がありますが、ここは潮が直接かかる所であり、逆に上流300メートルほど上にある瀬には、川だまりはなく常時水位が変わりません。いずれの瀬でも産卵行動はあるそうですが、アユの産卵水域の中心になっていた場所は、紛れもなく満潮汽水線のすぐ上にあった川だまりの瀬でした。
先日、愛知県のある川でアユの産卵を見ました。産卵場所の汽水域的条件はまったく同じで、大潮の日には川だまりによって消えてしまう瀬の中でアユは産卵を繰り返していました。アユの産卵がそういった場所である理由を推測で書いてしまうと、アユが最大の産卵のピークを迎える10月の2回の大潮時と、水温が約20度で15日前後に孵化する温積孵化日数の関係からみて、海では産卵できない親魚たちが、もっとも海に近い場所で、つまり次の大潮時にふたたび瀬の近くまで現れる潮の“引き潮”に乗せて、仔魚を勢いよく海へ流すためなのではないでしょうか・・・。
初夏には同じ場所で、ボウズハゼやシマヨシノボリなどの多くのハゼの仲間の産卵も観察できました。したがって両側回遊型のアユやハゼといった魚たちは、ほかの例も考えあわせると、河口部に人工の障害物がない限り、川が違っても同じ条件を探して産卵場所とするのではないか・・・と、推測とは言え、実はかなり真剣に信じこんでいるフシが僕にはあります・・・フムフム。
−水際のマジリバ−
約1.5キロある銚子川の汽水域も、そのすべてが面白いというわけではありません。両端の満干汽水線が著しく面白いのです。満潮汽水線付近では、アユやハゼが産卵場としてそのメカニズムを利用していましたが、干潮汽水線のすぐ上流側でもアナジャコによく似た“砂もぐり”や小さな名も知れぬカニたちが海からやって来て、そこで産卵をしています。彼らは海から汽水線を越えて川の中にやって来ているはずなのに、わざわざ川底に深い穴を掘り、穴の奥にできる海で産卵をします。川に入って来て海で産卵する。まーずいぶんとややこしい話ですが、掘った穴の上はときおり川の水が支配する場所ですから、これも卵を天敵から守るための場所選びだったのかもしれません。
─川は呼吸している─
潮が満ちてくると、ユラユラ帯は川底を這い、川をジワジワと遡って来ます。銚子川で最大1.5キロでしたが、川の勾配が緩やかな平野部の川では、内陸奥深くまで入って行きます。
ユラユラは移動することによって、生き物たちに、不思議な空間を提供していました。
海水を吸い込んだり吐き出してみたり・・・まるで川が呼吸しているようにも感じます。ユラユラと一緒に川へ入って来た魚たちは、やがて川全体へと広がりながら、流域の水辺を豊かにしていきます。
呼吸の浅い川、うんと深く呼吸をする川、川によって息の深さも様々ですが、境目の奥行きは、川環境を計る上で、今後、とても大切なキーワードになりそうです・・・。
満潮汽水線近くの国道から、河口の方を見る。 |
Y.観察を通して感じた事
潮が満ちたり引いたりすることによって、水際にはじつに多くの怪しい境目が生まれています。陸地と海の境目になる“干潟”や磯の上に取り残された“潮だまり”、そして今回観察した川と海の境目にある汽水域。
ある本によると、この満潮線と干潮線二つの間にある潮間帯という場所は、地球上でもっとも生物の豊富な所になるそうです。目には見えない微生物まで入るのですから、相当な数になるのかも知れません。
境目で一番大切なメカニズムは、どちらでもないという曖昧さです。この曖昧さが二つの異なる世界を実はしっかりと繋ぎとめながら支えています。そこを美しく整理整頓してしまうと、どちらの世界も急に単純化してつまらない世界になってしまうのは残念ですネ・・・。
それにしても面白かった。銚子川の汽水域の魚や小動物が見せてくれた懸命な姿は、どんなドラマよりもドラマチックで感動的でした。
4年に渡った銚子川の観察で、僕は大切な川の糸口を手に入れた気がしています。これからあちこちの河口を見るたびに、アユやウナギといった回遊魚たちと出会うたびに、それぞれのあの瞬間を思い出し僕は一人ほくそ笑むことができます。
銚子川で見た、生き物たちがその環境的メカニズムを見事に利用しながら、異環境へと順応していく姿は、とても興味深いものでした。この観察を通じて、境目は汽水域に限らず、生き物たちにとって大変に大きな役割がある場所だということを知りました。山と平野、川と岸辺、地球サイズまで言えば、オゾン層ってのも大気と宇宙の境目になるのかも知れませんネ・・・。
日本の高度成長期は、そういった境目を整理整頓する時代でもありました。どちらの環境でもない境目ですから、そのまま使えぬ状態で放っておくよりも、手を加え経済的に魅力ある空間に作り変えるのも仕方がなかったのかも知れません。
多くの河口にダムがあります。いつの日か、魚たちがふたたび自由に僕たちの川を行き来してくれるようになるといいなぁーと思いました。
By KEN NAKAMOTO
HP Design By TANSUIGYOCLUB’S SAKU
20.December.2002
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